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【二代目が聴く!】あいき創業話 vol.4 ~奮闘編~

みなさん、こんにちは。
けやき薬局の馬場(き)です。

先週に引き続き、私(二代目)が洋典さん(創業者)にインタビューする形で色々聴いてみましたエピソードの第4弾、最終回です。

4/01(月) 創業準備~創業まで(~1996年)
4/05(金) 立上期:ひのき薬局~みずき薬局オープン(~2001年)
4/15(月) 拡大期:いぶき薬局~くすのき薬局オープン(~2006年)
▶ 4/22(月) 奮闘期:くすのき薬局西若松店オープン(~2012年)

いわきの話も出てくるよ。


前回のお話はこちらから

2006年 のばら薬局オープン(いわき)

いわきに子会社を作った経緯は?

あぁ、あれは大塚製薬の後輩のSさんがいわきで漢方薬局をやっていてね、たまに連絡は取っていたんだ。えんどうクリニックで月に1回、漢方の勉強会をやってもらったりもしていたんだよ。

そんな中で、「見城先生が整形外科を開業するから薬局を出したいので協力して欲しい」と相談を受けて、50-50で出資をして一緒にやることにしたんだ。

支援はお金だけ?

いや、けっこう色々支援したんだよ。最初に入社した事務の志賀さんや薬剤師の深瀬君は会津で研修したんだから。

楽し気な研修中の深瀬さん@けやき薬局(2006年6月)

他にも分包機もこちらから持って行ったし、ノウハウ提供もしたよ。あと、訪問診療を熱心に行っていた「あんざいクリニック」を紹介したりもしたんだ。安西先生と会津の遠藤先生がお知り合いだったんだよね。

無事に開局できたんですね?

土地はちょうどあの辺を分譲している時だったから、苦労なく購入できたんだよ。開局準備は会津からも手伝いに行ったんだよ。いわきで人がいなくてそれが一番の問題だったね。

田中さんと飯塚さんが後ろに見えますね。

最初は人がいないし採用もできなかったから、事務の栗村さんや薬剤師の健一君にいわきへ行ってもらったんだ。

健一さん、わかい!

その後もなかなか人がいつかなかったから、会津から支援をしていたんだよ。人を送るっていうのは大変なんだからね。。

いわきへの拡大?が会津での店舗拡大ストップに繋がっていたのは、初耳でした。。

二代目より

2010年 いわき動乱

その後もいわきは順調だったの?

いやそれが、順調じゃなかったんだよ。
いわきの全スッタフが辞表を出した騒ぎがあったんだ。当時社長をしていたのはSさんなんだけど、ほとんど薬局に来ていないのに色々口を出したり、労務管理がずさんで残業代が支払われていなかったりしたんだ。

いわきの現状や日常が分からなかったから、店長の深瀬君にレポートを提出してもらって、やっとどんな状態かが分かったんだ。

それは、、ダメなやつですね。どう対応したの?

社会保険労務士にしっかり入ってもらって、タイムカードのチェックなどもしてもらってから問題が詳しく分かったんだよ。いわきのスタッフからもたくさん話を聞いて、私が頭を下げてとりあえず収まったんだ。

あと体調不良の続いていた健一君を会津に戻して、他の薬剤師を2名いわきに行ってもらったんだよ。

今思うとSさんを信用しすぎていたのが、良くなかったのかな。

薬剤師2名ってなかなか大変ですね。

そうなんだよ。
新卒で採用した子たちだったから、もしかしたら会津の薬局をもう1-2店舗出せていたかも知れないね。結局その2名とも退職してしまっているから、Sさんを信じすぎたせいでとても惜しい事をしたと反省したんだよ。

その後の話も含めてかなりショックだったから、あんまりこの話は触れたくないかな。。

2018年に他にも問題が発覚して、Sさんとは袂を分かちました。社名も変わって、社長も現在の島貫さん体制に替わっていますね。ビジネスパートナー選びは難しいという、とても強い教訓ですね。

二代目より

2011年 東日本大震災

震災は大丈夫だったの?

会津では店舗の被害は少なかったんだけど、ふれあい体育館の避難所をうちのグループで引き受けて、薬の管理・健康管理のサポートをしたんだ。避難所で誰が誰だか分からなくなって支援も出来なかったから、避難所内の健康マップを作成して、赤十字の先生などにも共有したら褒められたよ。

自分たちも大変な中で、一生懸命やってくれた若手のスタッフたちには本当に頭が下がる思いだったね。

店舗も通常運営しながら、避難所のサポートってなかなか大変ですよね。

二代目より

他には思い出深い事はある?

いわきの方は直撃で薬が入ってこない状態が続いていたから、のばら薬局へ会津から薬を届けに行ったよ。警察から許可証をもらって、高速道路で厳戒態勢の中苦労して運転して行ったんだ。盗難が多かったから自由に往来できなかったんだよ。

のばら薬局の深瀬君を中心にみんな頑張って対応してくれていたのが印象的だったな。避難勧告なんかも一時あったんだけど、在宅をたくさん受けていたから一度も閉めずに営業していたんだよ。

在宅訪問を継続させるため緊急車両の許可を消防署に申請
給油等が優先的に受けられたそうです。(深瀬さんより)

会津でも色々な許可証とか取っておけばよかったね。自分たちも大変だったから写真とかも何も残っていないんだよね。

2012年 くすのき薬局西若松店オープン

移転したんですよね?

病院の移転に伴って薬局も移転したんだ。西若松駅のそばで、周りは住宅街で空いてる土地がなかったから、駅の反対側に建てたんだよ。

橋の下のフェンスがあった場所

建てる時には橋の下にフェンスがあったから、薬局のトイレを地域の人が使えるように「みんなのトイレ」として開放することでフェンスを撤去してもらえるように市役所と交渉したんだ。市役所や県の人にも親身になって相談に乗ってくれて、希望通りフェンスを撤去して貰えたんだよ。

西若松駅にトイレが欲しいという要望はその後も続いて、公衆トイレが出来たことを考えると地域のニーズと提案がマッチしていたんですね。

二代目より

気がつけば15年

1996年創業でこの時点で15周年ですね

そうだね。苦労も色々あったように思うけど、眼の前のことに一生懸命取り組んでいたら、大変というよりはあっという間に15年経ってしまったね。

バリバリの社長時代の洋典さん(2012年)

当時は、スタッフの教育をしなければならないとずっと考えていたから、7つの習慣で良いなと思ったフレーズの

  • 生きること

  • 愛すること

  • 学ぶこと

  • 貢献すること

を意識的に話すようにして、理解してもらおうと思ったよ。

もともと私は心臓が悪かったから人生は短いと思って、常に正面から向き合って一生懸命に取り組んではいたんだ。10年、20年と続いていく企業になりたかったから色々考えてやっていたんだよ。


相談役の奮闘記はいかがでしたでしょうか?
私も知らなかった話も多く、今回インタビューできてとても良かったなと感じています。いろいろな事情や苦労の上に現在が成り立っているとうことは、きちんと頭に置いておかないといけないですね。

ちなみに時系列では、翌2013年に私が会津に戻ってきて、その翌年の2014年に島貫さんがいわきで入社して、だんだん現在の形に近づいていくのですが、その辺は紙面の都合もありますので割愛します。

最後に、今週末には「25+3周年記念式典」を予定通り行う予定ですので、参加される管理職や20年近く在籍されているスタッフの皆様は、四半世紀(1996年〜2020年)の長い道のりを社長として舵取りをしてきた相談役とぜひ色々な話をしてくださいね。

今回のシリーズのマガジンはこちら↓

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