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【二代目が聴く!】あいき創業話 vol.1 ~創業編~

みなさん、こんにちは。
けやき薬局の馬場(き)です。

当グループでは、2024/04/28(日)に「25+3周年記念式典」を行う予定です。それにともない、洋典さんと奈緒子さんが歩んできた会社の歴史をオープン社内報でふり返ってみることにしました(私も知らないことたくさんなので…)。

コロナ禍まっただ中の2020年に25周年記念式典を行う予定だったのですけど、さすがに時節柄…、ということでスキップしていたんです。

その節は直前の中止連絡で関係各所にはご迷惑をお掛けいたしました…

私(二代目)が洋典さん(創業者)にインタビューする形で色々聴いてみましたので、ぜひ読んでみてください。

4回シリーズでまとめてみたいと思います。

4/01(月) 創業編:会津に戻る~創業まで(~1996年)
4/05(金) 立上編:ひのき薬局~みずき薬局オープン(~2001年)
4/15(月) 拡大編:いぶき薬局~くすのき薬局オープン(~2006年)
4/22(月) 奮闘編:くすのき薬局西若松店オープン(~2012年)


~1993年 会津へ戻ってくるまで

会津へ戻ってこようと思ったきっかけは?

大塚製薬でMRをやっていたんだけど、バブル真っただ中で仕事はいくらでもあったから、終電で帰って始発で出勤するような夜討ち朝駆けの生活をしていて、家には寝に帰っているようなものだったよね。慈恵医大や国立がんセンターを担当していて仕事の成績はトップだったものの、奈緒子さん(妻で共同創業者)が育児ノイローゼになった時に「このままではダメ」だと思って、大塚製薬を辞めたんだ。

私と弟のおとなしいとは言えない子供を2人を抱えて、家にいなければそうなりますよね…、ろくでもないことをした記憶しかないですもの…

二代目より

働かないといけなかったから、忠実屋(1994年にダイエーに吸収)に入って埼玉県坂戸店で薬剤師として働いたんだ。その時にPOSや在庫管理のやり方を教育してもらったのが、あとあと薬局をやる時に活きたよ。

会津にすぐに帰ったわけではないんですね?

二人とも福島県の出身(南郷と湖南)だから福島県に帰ろうと思ったんだけど、薬局の開業案件を探しても、なかなか折り合いのよい案件がなくてね。芳賀昇之助おじさんが紹介してくれてXXXX病院前の話もあったんだけど、いきなりやるには話の規模が大きすぎて手が出なかったんだ。

奈緒子さんの出身の郡山にするか、南会津からなじみ深い会津若松にするかで悩んで、親戚も多い会津若松にしたんだよ。

1994年 会津に帰る

会津若松に引っ越してきたのは夏だったように記憶してます

1994年7月に会津若松に転居してきて、まずこの土地のことを知ろうと思って、ちょうど会津中央病院の前に大きな薬局を作って募集をしていた 株式会社あさひ調剤2007年にアインがM&A) に入ったんだ。

社長の春日一夫さんと「2年で辞める」という約束で入社して、店舗開発をしていたよ。竹田綜合病院の前に、駅前に、他にも埼玉でMR時代の繋がりを活かして先生と繋ぎを付けて出店したり、色々やったかな。

紙薬歴のカードを作って薬歴を書くことを徹底させたり、薬情(医薬品情報提供用紙)に薬名やカラーの写真を入れたりして新聞に取り上げられたこともあったんだよ。

そこからなぜ開業になったんですか?

前田眼科が院外処方にするという話があって、その時も私が担当して交渉に当たっていたんだ。話を進める中で院長先生が「こくぶ薬局は〇〇〇〇から一緒にやりたくない。できれば他の薬局と組みたい」と言っていてね。

もちろん春日さんにも「こくぶ薬局は嫌だと言っています」と相談はしていてたんだけど、話している中で

「こくぶ薬局を出たら、私と組んでくれますか?」

と聞いてみたら、考えてくれると言ってくれたんだ。

相談役と前田先生の山登りや山菜採りといった同好の士の繋がりは今でも続いています

なんとか信用して貰う方法はないかと考えて、MR時代に仲の良かった先生がちょうど院長先生と同じ弘前大学の出身だったことを思い出して相談したら、なんと院長先生がオーベンを務めていたという縁があって、電話で推薦してもらったりしたんだよ。

春日さんとは揉めなかったんですか?

揉めはしなかったね。
もともと2年という約束だったし、店舗開発などで一目置いてくれていたのか、作りかけの薬局を1,000万円で譲ってもらうことで話がついたんだ。こくぶ薬局へ遺留もされて「月に◯百万円だすから残ってやらないか?」とも提案されたんだけど、奈緒子さんが「その金額がずっと保証されるものでもないし自分たちでやろう」というから開業することになったんだよ。

けやき薬局にあるパキラは、春日さんが「開業祝だ」と言って薬局前にベンツで乗り付けてプレゼントしてくれたんだよ。そういった男気のある社長さんだったね。

今もけやき薬局の入り口でみんなを見守る「パキラ」さん

1996年 けやき薬局開業

そんなにすぐに開業できるものなんですか?

いろいろ大変だったけど、自己資金と親戚からお金を借りて1,000万円、国民金融公庫から1,500万円借りて、2,500万円用意したんだ。そのうち1,000万円は作りかけの薬局を買うのに使っちゃったから、1,500万円の手持ちでスタートだったよ。

開業当初40歳の洋典さん

薬局の立ち上げ自体は、あさひ調剤で何回もやっていたから問題はなかったんじゃないかな。工事自体は作りかけの薬局をそのまま譲ってもらえたからね。

会社名の由来は?

春日さんに相談したら「あい〜」がいいんじゃないか?と提案してくれてたんだよね。

  • 会津と喜多方

  • 会って喜ばれるサービスを

と言った意味を込めて「会喜(あいき)」としたんだ。

何月に開業したの?

前田眼科医院の院外処方開始が10月だったんだけど、伊南ホームの処方を受けてくれないか?という話があって、少し前倒して開業したんだ。

ちょうど1989年にFAX分業の通知が出たばかりで、当時の会津ではFAX分業はぜんぜん行われていなかったんだよね。そこで薬局がないような地方部の処方せんをFAXで受けて対応しようという取り組みがあって、そういった話につながったみたいなんだ。FAX分業についてのレポートを書いたり、厚生省の会議にでたりいろいろやったな。

会津若松から72km…これを毎週やっていたと言うんだからなかなかすごい。

福島県でもゴールドプランという計画があって、福島県内の郡部に特別養護老人ホームを作っていこうという流れのなかで、伊南ホームの処方箋を受けてくれる薬局を自治医大の先生が探してたんだ。自治医大の先生と受ける病院を探したり、処方箋の出し方から一緒にイチからやったよ。けやき薬局は伊南ホームの60人を受けるところからスタートしたんだ。

「がんセンターでやっていただろ?」と言われて薬を減らすための取り組みを自治医大先生とやったりもしたけど、たいへんだったな。補助金で300万円貰えると言われたてがんばったけどね。前田眼科医院の処方が出だしたらいそがし過ぎて地獄を見たよ。

開業当初の人員は?

開業当初は、薬剤師2名、事務スタッフ4-5名で始めたんだよ。

<薬剤師>
 洋典さん
 奈緒子さん
<事務>
 渋谷さん(こくぶからの転職、レセプトもできた)
 本田さん(郡山から。奈緒子さんの実家のご近所のご縁)
 KNさん(新卒女性。1年くらいで退職)
 ??さん(こくぶから転職。3ヶ月くらいで退職)
 ??さん(親戚。すぐに退職)

薬剤師2名って大変じゃなかったの?!

すごく大変だったよ。毎日、目が回るような忙しさだった。だから、あの時を一緒に乗り越えてきた奈緒子さんにはとても感謝をしているんだ。

自宅で紙薬歴と格闘する洋典さんと奈緒子さん

当時の父母と同じくらいの年になって思いますけど、小学生の子供を2人育てながら、薬局でも家でもすさまじく働いていたんですよね(そんなことはつゆ知らず、家を遊び場に友達を呼んで散らかし放題、遊びたい放題やっていたバカ息子は本当にひどかったのかもしれない…)

二代目より

1997年 血の小便事件

血の小便事件ってなに?

開業後のストレスだったのか、不摂生だったのか、開業した翌年の年始に突然真っ赤な小便が出てびっくりしたんだよ。「がんだったら薬局と家族はどうなるんだ…」とすごく不安だった。

竹田綜合病院の泌尿器科に当時勤務していた玉木先生に見てもらって「尿路結石だね」と言われて、すごくよろこんだことを覚えているよ。先生も「結石で喜ぶ人を始めて見たよ」とあきれ気味だったね。

でも、結石の痛みで七転八倒して2−3回病院に運ばれたけど、破砕してもらって薬局を続けられたことには感謝していたんだ。

ストレスって資金繰りとかはどうだったの?

そうそう。店舗に1,000万円、薬の在庫に数百万円が飛んでいってしまって、あっという間に手持ちが少なくなって大変だったよ。

いろいろな都合で使えるお金が少なくなってしまって、一時は口座に18万円しかなくなって青ざめたこともあるんだよ。そんな時に伊南ホームから振込があって「助かった」と安堵したことを覚えているよ。あれはありがたかったな。

その後、東邦銀行から1,000万円融資して貰えることになって、実家を担保に入れてもらったり大変な思いはしたけど、なんとかしのぐことができたんだ。あさひ調剤時代の経験を活かして、問屋さんに最初は支払いサイトを少し長めに設定して貰えたのもよかったのかも知れないね。

実は「いろいろな都合」があったから次の薬局を作るときは「薬樹」という別の法人を立ち上げてやることにしたんだ。意味合いとしては、守る会社と攻める会社かな。

おまけ:開業当初の決算

株式会社会喜は、「1996年5月15日」設立で7月決算です。

第1期 1996年5月15日~1996年7月31日

売   上                  0 円
※会社設立後、けやき薬局の開局準備で売上が立っていないため休業届

第2期 1996年8月1日~1997年7月31日

売   上  84,988,833 円
売上総利益  34,025,870 円
営 業  利 益    2,673,498 円

第3期 1997年8月1日~1998年7月31日

売   上   121,920,364 円
売上総利益  53,207,545 円
営 業  利 益    3,276,161 円

売上前年対比140%!!

洋典さんは在任中「20年の在任中ずっと黒字だ」と豪語していましたけど、立ち上がり方がすごいっすね…

某総合病院前でやっていたころの患者さんが、わざわざけやき薬局開業後移ってきてくれたという話がある通り、「親切であたたかい」という点が開業当初から続いているんだと思います。

二代目より


第1回目、開業までの歴史はいかがでしたたでしょうか?

私も知らない話もあり、創業時の苦労やがんばり、父母の若さが感じられた気がします。洋典さんが開業前の流れや開業当初の話を実にリアルに話してくれたので、諸般の事情により紙面には載せれなかったエピソードが実はけっこうあるんです…

もし気になる方は、洋典さんを食事などにお誘い頂き、ぜひ創業者本人に聞いてみてくださいね。笑

(つづく)