【寄稿シリーズ】在宅医療のやりがい
在宅医療の研修担当 ぱくひょんぎょん です。
馬場さんからのリクエストがあったので寄稿しますね。
この3点から、私の感じる在宅医療のやりがいについてお伝えさせていただきます。
〜馬場より〜
ぱくさんに「なにかスタッフのためになることを寄稿して!!!」とすごく雑にお願いしました(すんません)。ちなみに、ぱくさんがたっけさんのYouTubeにも出演されていますので、ぜひ見てみてくださいね〜。
1.薬剤師のプライド
薬局の窓口で医療用麻薬をお渡しする場合に、ご家族が取りに来られることがあります。このことから「患者さんは薬局まで外出する体力がないほど病状が悪化している」と想像できますよね。
そこで思うのは、医師と看護師は「患者宅という医療現場」へ行っているのに、薬剤師だけは「薬局という箱の中ばかり」ということです。
私はふとそんな状況に気が付いた時、役に立つ薬の説明をいくら叫んでみても言葉が途中でかき消されてしまい、患者さんの所まで薬剤師の声が届いていないような劣等感を持たずにはいられませんでした。やはり代理人に説明するのと患者さん本人を前にするのでは、説明する内容や関わり方、そして薬剤師としての心持ちも変わってきます。
在宅医療のやりがいというよりは、「患者さん本人と向き合う」という医療の原点に立ち戻り、薬剤師のプライドを持ってサービスを提供するということが大切だと思います。
2.感謝の言葉の重み
薬剤師として仕事をしていると「ありがとうございます」と感謝の言葉をいただくことがあります。外来でも同じセリフを耳にしますが、在宅療養中の患者さんからお声がけ頂くと、言葉の重みに違いを感じます。
私自身の経験としては、お看取り後の麻薬回収を担当する際に特にその点を意識することが多かったです。
お看取り後の場合、ご家族から「中に入って挨拶していってください」と部屋の奥に通されて、遺影に手を合わせさせていただく。まだ悲しみの癒えてないご家族から「ありがとうございました」と療養生活での薬剤師の関わりに対して感謝の言葉をいただきます。そこには色々な体験や気持ちが絡み付いており、療養に関わった立場からすると重みを感じずにはいられません。
麻薬回収の場面では介護されていたご家族の言葉ですが、サービスを提供している患者さん本人の発する何気ない一言から言葉の重みを感じることも多いです。「ありがとうございます」というセリフは同じでも、言葉の重さの違いの中に、
自分自身が提供したサービスの価値
自分自身の仕事の意義
を意識させられることが多いのではないでしょうか。それが在宅医療の醍醐味です。
3.譲れない想い
「在宅訪問を専門にしている」と薬剤師の仲間に言うと、時おりこんな質問を受けます。
素朴な疑問なのかもしれませんが、白熱して口論になることがあります。ディスカッションで相手の方がスキル的に一枚上手な時は論破されてしまいます。そんな日の帰り道には、収まりがつかない悔しさを紛らわすために、あえて遠回りして家まで歩き、気持ちを落ち着かせずにはいられません。
何だかんだと考えた結果は「それでも自分には、できることがあるはずだ!」と在宅医療への想いを強めることになります。
確かに在宅医療の現場では「これは本当に意味があるのか?」とやりがいを見失う場面もあります。
がん末期の患者が退院して、訪問が一度きりでお亡くなりになった時には、「本当は病院で入院していた方が穏やかな最期を過ごせたのではないか?」と在宅医療の導入意義そのものを疑いたくなることも否定しません。
認知症の患者に対して、精一杯わかりやすく説明したつもりでも、別の話題をして3分もしない内に、また同じ質問が繰り返される時には、自分でも虚しくもなります。
しかし、もし自分が関わることを諦めてしまえば、がん末期の患者さんの、コロナで面会制限がある中、最愛の家族との触れ合う時間を永遠に奪ってしまうかもしれない。
認知症の患者には、薬を飲めないことが原因で病状が悪化したり、重複による過量服用により副作用被害が起こったり、本人が望まない形での施設入居を余儀なくされるかもしれない。
自分が関わることを諦めた時の患者の結末を考えた時には、
という土壇場での粘り強さにつながります。こんな創意工夫の場に身を置けるのも、在宅医療に関わる面白さです。
あなたの感じるやりがいは?
ここまで私の個人的な体験を土台にした、在宅医療のやりがいについてお伝えさせていただきました。せっかくですから、あなた自身にとっての在宅医療のやりがいの基になっている体験やきっかけなどを考えてみてください。次回お伺いした際に皆さんとお話しできることを楽しみにしています。
それでは、また。