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退職エントリ by 岡本直也

ご本人からいただいた原稿をノーカット掲載のため長文です。また、文中の写真は社内保管庫よりご本人に承諾を得て掲載しております。

馬場より

はじめに

会喜地域薬局グループを離れることになりました

この度、2023年1月をもちまして、大学卒業以来勤めていた会喜地域薬局グループを退職することになりました。新卒として入社し、社会人として右も左も分からないなか、様々なことを経験させていただくことができました。また、生涯にわたる仲間との出会いもあり、共に地域医療に尽力する日々を過ごすことができたことには、感謝の言葉もありません。

実は私の退職は2年前に決まりました。2021年の2月に馬場祐樹社長に相談をさせていただいた時から、私の退職後もまったく問題ない環境づくりが始まり、それと同時に薬局が発展するためのチャレンジの機会も与えいただけたおかげで、退職を迎えるまでの間も充実した日々を過ごすことができました。

私が過ごした約15年間の会喜人生、それはとても幸せな時間でした。

退職を迎えるにあたり、私の会喜地域薬局グループでの仕事に区切りをつけると共に、入社後に経験したことを振り返りながら、これからの会喜地域薬局グループを支え発展させてくれるであろう仲間たちへのメッセージを残したいと思います。

15年分を振り返るので長くなってしまいますが、お付き合いください。


出来が悪かった私でも、一生懸命やることで得られた成長

会喜に入社に至った経緯

私が入社したのは2008年です。
薬剤師になる未来を全く描かずに最終学年の終盤を迎えていました。当時は大学院に進学することが決まっていましたが、2007年12月に会喜調剤薬局グループ(現:会喜地域薬局グループ)の説明会に友人が行くことになったので、興味本位でついていきました。

しかしそこにいたのは超絶厳しい社長でした。(※もちろん根底には愛があります)現在は相談役を務めていらっしゃいますが、当時はバリバリの社長で、甘い考えを持った学生たちを一蹴するかの如く厳しいお言葉をそのときにいただきました。そして、次のように言われました。

『どうかこの会社に来てください』なんて言う気は全くない。それでも入社したいと思うならば、独立開業するくらいの気持ちで来い!

薬局薬剤師は、なんとなく売り手市場だと思っていたので、社長の言葉の一つひとつは私にとってとてもセンセーショナルでした。その年の年末に地元へ帰省する途中の電車内でのことです、うたた寝をすると社長が夢に出てきました。それも何度も何度もです。

「これは何かあるな。」

強くご縁を感じたことを今でも覚えています。
すでに大学院への進学が決まっていましたが、それを全て放り投げ会喜への入社を決めました。当時の大学教授や父親にはこっぴどく叱られましたが…、ここで10年は修行したいと強く決意して薬剤師生活をスタートさせました。

思ったよりも仕事が出来ない自分と、そこから得た学び

元々は薬剤師になるつもりは無かったと偉そうなことを言いながら、いざなってみると自分の不出来さに落ち込む毎日でした。

「岡本直也が不出来だって?」

今の職場の人たちにそう言っても、最近はなかなか信じてもらえません(笑)しかし、”確実に”不出来でした。ぜひ、当時からいた先輩方に聞いてみてください。ひどいもんでした…

入社時の私(2008年)

本店のけやき薬局は眼科の門前にあるため、眼科関連の服薬指導ができるようになることから私の薬剤師人生はスタートしました。その中でも、まずは指導内容が比較的容易な白内障の点眼薬からトライしますが、患者さんを前にすると指導を上手くできないですし、そもそも話ができません。

特に印象に残っているのは、

「知識もないくせに服薬指導中に喋りすぎだ!喋るな!」

という指導もいただいたこと。厳しい指導を受け入れるキャパが当時はありませんでしたので、ストレスを抱える毎日でした。

今思うと、これらの指導は当然だったのではないかなと思っています。
なにしろ、当時私のスキルで患者さんに医療提供することは、患者さんにとっては”失礼”に当たっていたと今では捉えています。しかし、プロとしてのお給料はいただいていますし、患者さんにとって新人だろうがベテランだろうが「薬剤師」であることに変わりはありません。

入社半年後には試用期間が終わり配属店舗が決定しましたが、そこでも全然上手くいきません。会喜は当時から人の良い人ばかりだったのですが、あまりの不出来さや言動の未熟さにイライラすることもあったのでしょう。「いいから服薬指導に行け!」と怒鳴られてカゴを投げつけられたこともありました。

そんなことをされるくらい不出来な人は、社内の歴史を振り返ってもおそらく私くらいでしょう。今の皆には、当時の岡本はこんな感じだっただなんて信じてもらえないかもですね(笑)

成長が遅い自分と、先輩方や大学時代の友人を常に比較して、劣等感を抱いていました。入社3、4年目は停滞期で「社内で存在感が無い」なんて言われたこともありました。

しかし、この時期に学んだことはその後の社会人人生の基礎となったことは間違いありません。学びが多すぎて書き切れませんが、思い出に残っている言葉を一つだけ紹介します。

店舗配属が正式に決まった時に、社長から言われた一言があります。

「人が嫌がる仕事を率先してやりなさい。」

現役バリバリ社長のころの現相談役(2012年)

この言葉を胸に、人が面倒だったり敬遠したくなったりする仕事こそ私の仕事として、一生懸命取り組んだことを覚えています。この言葉をいただけたからこそ、仕事や人生に置いて最も大切な事の一つである『信頼』を得ることができて、その後の社会人人生の基礎となったのではないかなと思っています。

仲間に恵まれる

成長の遅さを実感しながらも、なんとか仕事を続けていました。そのうち私の立ち位置も変化していきます。そして、周りの仲間から刺激をもらうことで、成長を加速できた実感があります。

この頃の私にとってとても大きな存在となった友人が2人います。
それが、現社長の馬場祐樹さんと現企画・採用担当の高橋亮太さんです。

馬場祐樹さんは、私がみずき薬局に異動になった時に入社しました。東京の水野薬局から転職してきた彼は、良い意味で会喜で育った社員と異なる点が多く、薬剤師としての能力だけでなく、EBMの知識やIT関連の知識を使いシステムを作り上げていくスキルなど、私には無い能力が多数備わっており、よく圧倒されていたことを覚えています。

同年代ということもあり彼とは入社時からよく話をする機会がありましたが、その度に実力の違いを見せつけられ、どうしたら彼に追いつけるかをよく考えていました。彼と一緒に働くことをしなければ、私の成長はなかったと確信しています。

シン・ひのき薬局について。馬場祐樹さんとディスカッション(2022年)

高橋亮太さんは私の1年先輩の事務で、仲が良く、入社2年目頃から一緒にいる機会が増えていきました。彼は会社からの指示で外部の研修会に参加する機会があり、そこで得た学びや人脈を惜しげもなく私にシェアをしてくれました。お陰様で薬局外部の人たちと繋がる機会が増えることになり、私はそれまでと比較して急速に学びを深めていくことになります。

また、普段からお互いの考えをディスカッションをする仲でもあったので、お互いの考えをアウトプットしながら高め合うことができました。
彼がいなければ私の世界観が拡がることも無かったですし、何よりも一緒に悩み苦しみながらも充実した会喜人生を送ることは不可能だったと思います。

若かりし日の高橋亮太さんと私(2012年)

もちろんですが、その他にも生涯に渡る付き合いになりそうな先輩方に職場内で巡り会えたことも、私にとって大きな財産です。さらに長くなりそうなので、個別に御礼申し上げようと思います。

ターニングポイント 

『このままでは潰れる』

そう強く感じたことはありますか?私にはあります。それが私にとって明確なターニングポイントでした。

ある日上司から指摘を受けた時に言い返したことがあり、それを見ていた当時の社長から叱責を受けたということがありました。その時にふと考えてしまったのです。なぜ言い返したのか?その時に自分の焦りや承認欲求みたいなものに気づきました。そして「このままいけば、私は何もできずに潰れるかもしれない…」という想いを抱くことになりました。このままの延長上にある自分の人生に期待ができなくて、怖くなってしまったのかもしれません。

自分の家の中でそんなことを思いながらボーっと考えていたところ「7つの習慣」という本に目が留まりました。

この本は入社時に社長からいただいた本でした。当時は入社時に全社員がもらうことができた書籍で、正直な話をすると「なんかよく分からない本だ」と思って全く読んでいませんでした。読んでないと社長に何か言われるので開いてはみるものの続かず、一章すら読みきれません。社長から質問をされてもそれっぽくキーワードだけ答えてその場を乗り切るだけで、全く自分の人生には関係ない本でした。

しかし、この時は違いました。この本の内容が自分を助けてくれるのではないか?理由はよく分かりませんが直感的にそう思うことができたことを覚えています。

自分の人生をもう一度組み直そう。

そこから自分の人生を主体的に生きるようになっていきました。それまでは夜型生活でしたが、自己投資をする時間が必要と考え、毎朝4時に起きて自己学習の時間を確保するようになったのもこの頃からです。まずは3日続けよう。その後は3ヶ月、その後は1年。手帳を広げ、今自分に何が必要か考え、たまには何もしない時間も作ったり寝坊しながらも、とにかく継続しました。

このままの自分の人生に危機感を覚えて、主体的になり始めたこと。これが私のターニングポイントでした。

その2年後にひのき薬局の店長を、その後グループリーダー、取締役と拝命することになりましたが、このときに必死になって自分の思考習慣、行動習慣を変えることが無ければ、その後の人生はなかったのではないかと思います。

会喜の顔、になれた?頃(2020年)

出来る出来ないではなく、自分を変え続けるために行動し続けることが大事だったのかなと思います。

退職を決意した理由

退職を決意した理由ですが、決して今の会社に不平や不満がある訳ではありません。

ひのき薬局の店長として、複数店舗に関与するグループリーダーとして、私自身の力不足と抗いながらも充実した日々を過ごしていました。

しかし、私にとっては良くても、家族にとってはどうか?何より妻にとってはどうか?

10年だけは会津で学ばせて欲しいと願った私のために、それならばと、結婚当時さまざまな思いを抑えて会津までついてきてくれた妻の想いを考えると、どうにかしないといけないとは思っていました。

会喜での学びや生涯の友人とも呼べる仲間や先輩と切磋琢磨し合える環境はとても居心地が良く、ずっとここにいたいと頭をよぎることは何度もありました。しかし、”今”に甘え続けたとしてもこれはいつまでも続かないはずとも思いました。一番近くにいる大切な家族のためであり、何より自分のために、退職することを決意しました。その後、社長の馬場に伝えたのは今からちょうど2年前の2021年2月でした。

これからのこと

2021年2月に現社長と相談をした時のことです。ただ辞めるのはもったい無いしつまらないと言ってくれて、独立する時に支援をする、そして取締役になって最後やり切ってみてはどうか?とご提案いただきました。心より感謝する、ありがたい言葉でした。

私は1年くらいで退職することを相談しましたが、色々な提案を受けて、2年後の退職を目指すことにしました。

退職後は妻の実家の近くに移り独立することを目標にしていましたが、その間に親の体調不良があったりなどあり、私たち家族の人生について色々と考え直すことになります。元々は親の近くで過ごしたいと思っていた妻も、どうすることが私たち家族にとって良い選択となるのかを考え直しました。

そうした時に、人のご縁で仙台での話をもらうことになります。仙台という選択肢は全くなかった私にとって最初は懐疑的でしたが、妻に話をしたらとても好印象でした。

もちろん決断の決め手は一つではありません。私自身の今後のキャリアや妻のこと、家族のことなど、様々なことを考え続けた結果、仙台へ行くことを選びました。

当初の行き先と異なってしまったことで、社長をはじめ多くの皆さんにご迷惑をおかけすることになってしまいましたが、こんな私の決断を様々な思いを抱きながらも会社の皆さんが受け入れてくださり、心より感謝しています。

入社以来様々な葛藤がありながらも、ここでしか得ることの出来ない経験をさせていただけたことで、人間的な成長を得ることができました。これは、他の会社では得ることができなかったと思っています。

新しく入社する仙台の会社では、医療とは一見関係ない分野の様々な人が集まっていて、そこで薬局部門を立ち上げる予定です。どんなことをやるのかは今後もトライ&エラーを繰り返していくことになりますが、その過程で、今まで気づかなかった会喜の良さ、素晴らしさに改めて気づくこともあると思います。

会喜を離れることになっても、私は会喜に所属した「15年」という時間を過ごせたことを誇りに思うことでしょう。


これから会喜を支えてくれる皆さんへ

この会社で学んだことや今後支えていく上で必要だと私が考えていることをお伝えして最後とさせていただきます。

皆さんにとって、ポジティブな影響を残すことができれば、嬉しいです。

会喜で学べたこと

1.主体的

ターニングポイントでも私が頼りにした7つの習慣でしたが、初めて自分ごととして読んだときの学びが非常に大きかったです。何より主体的に生きるということ。そして、自分の人生を何度か振り返り「本当に私が実現したい人生かどうか?」を考えることです。

自身の思考パターンを自覚し、理想の自分を想像し、素直な心で受け入れ、自らの意思に従って行動する。

主体的になるには、自分と向き合う時間が必要かもしれません。私には必要でした。また、色々な人に出会うことで、自分のやりたいことが見つかる場合があります。様々な刺激に触れて、自分と向き合うことを大切にしてほしいです。

2.コミュニケーションの重要さ

私たちの顧客、患者さんは一体誰なのか?どんな方達にサービスを提供しているのか、どんな価値提供をするのか。

また、薬学の学習は尽きないものの、私たちが患者さんと接するときには、どうやって情報を伝えるかではなく、相手のことをどう理解するか?というコミュニケーションの本質的なところが今まで以上に強く求められることになると考えています。

こちらからの一方的なものではなく、相手を理解して、求めるものに適したサービス提供ができると、本質的な「親切」になると思います。

3.立ち位置

会喜で勤める中で学んだ大きなことの一つが「立ち位置」です。
この言葉を学んだのは、ひのき薬局の店長を務めながら、社内研修会の取りまとめをしていた時でした。あるビジネスパートナーが社員向けに説明会を開いた時に、私の紹介の仕方について当時の社長から指摘が入ったのでした。

「お前の立ち位置はどこだ?」

それまであまり意識したことはありませんでしたが、その時からことあるごとに考えるようになりました。

店内、社内での立ち位置だけでなく、他社との関わりの中での立ち位置など。実はあまり考えていない人が多いのではないでしょうか?

例えば役職者でも、従業員側の立ち位置なのか、会社側の立ち位置なのか。役職者が、何も考えずに従業員よりの立ち位置から物事を見て行動していては、組織が成り立たないでしょう。それは決して会社の言いなりになるということではなく、立ち位置は会社側に置きながらも、会社の目的やVision達成のために自身の役割に徹することだと思います。

一番危険なのは、自分ではバランスをとっているつもりでも、立ち位置が決まっていないことでしょうか。フラフラして様々なことが中途半端になり、成果がでません。

会社の目的から、それを実行するための自分の立ち位置、役割を認識して、そのためのインプットをして成果が出るようにアウトプットするべきです。
立ち位置の重要性を学べたことは、私にとってとても大きなポイントでした。

4.学びましょう 〜「親切」になるためには「学習」が必要〜

良い医療を実現するための会喜が大切にする重要なキーワード、「親切で温かい」。それを実現するために人が良い方が集まっていることは、会喜の財産だと思います。皆とにかく優しい。

しかし、人がいいだけでは、本当に親切で温かいサービスというのは実現できません。なんでもそうだとは思いますが、自分の気持ちや想いなどを表現するためには知識と技術が必要です。要はインプット無くして、良い仕事は続けられないということです。

ちょっと学習したり、ちょっと頑張ればできることなら皆ができます。皆ができるならば、世の中には良いサービスで溢れかえっているはずです。ですが、現実はそうではありません。

親切で温かい医療を提供するためには一朝一夕でできるものではなく、学び続ける必要があります。優しいマインドとそれを実現するための知識、スキル。この両輪が必要なので、皆さん学び続けましょう。

特に、会喜での在職期間が長い人たちへ

会喜はとても居心地が良い職場かもしれませんが、どんな人であれ、同じ環境に身を置き続ける弊害はあると思います。

それは、変化できなくなることです。

私自身も、油断すると現状維持をしたくなりますが、そうならないように気をつけたり、自分にとって学びの場をつくるようにしたりしています。

会喜にあるような素晴らしい環境を続けるためにも、変化させ続けることが重要だと思います。会喜も、ひのき薬局をリニューアルしたり、今まで繋がることがなかった方々との繋がりも増えて、大きく変化している最中です。変化し続けるために私が必要だと思うことをお伝えします。

アンラーン

長くいる人によくあると思っているのですが、昔受けた指導に縛られ過ぎている気がしています。受けた指導自体は学びの大きいものではあれど、そこに縛られて自分の思考や行動を狭めているようでは本末転倒な気がしています。

また、自身が社内で成功してきたときと同じ習慣を続けて成長を止めている、もしくは変わることを諦めて停滞している、そんなことも起きていると思います。

このような状況を考えると、「アンラーン」が必要かなと思っています。アンラーンとは、「Un + Learn(学び)」であり、『学びほぐし』と言われたりします。

今まで学んできたことや成功体験はとても重要ですが、アップデートをしないと時代の変化とともに陳腐化していきます。その上に新しい知識を入れ続けても、以前の自分との整合性を得ることができずに、成長をし続けられないことがあります。

アンラーンはこれまで学んだ知識を一旦壊して、常識や思い込みの壁を取り除くことです。世の中は変化し続けて、それは知識やスキルだけでなく、価値観も変化し続けます。

もし上手く仕事ができていないと感じるならば、自分の当たり前や常識を疑ってみて、原因となっている学びや考えを捨て去り、新たに習慣形成をすると良いようです。気づきは、一生懸命学んだり、社外の方たちとの出会いを積極的に求めていく中で得られるはずです。

一度捨て去らないと、新しい学びは入ってこないようですので、変化し続けるための仕組みを自分の中に作るようにしてみてください。

自分ができないことをポジティブに認める

仕事が上手くいかないときは自信を持つことができなかったり、自信を持てないがために必要以上に自分でやろうとして空回りをしたりすることがあると思います。

私も両方とも経験がありますが、後者は特に避けたいと思っていました。

自分に自信がないと周りからの承認欲求に頼るようになります。その中から出てくる思考や行動は常に周りの目を気にしたものになるので、質が低く、成果にも繋がりにくいと考えています。

そもそも自信って必要?という考えもありますが、もし自信が欲しいと思ったら、一生懸命努力したり夢中になるしかないかもしれません。その時の第一歩が、「自分ができないことをポジティブに認めること」だと思います。

この「ポジティブに」というところが大事で、そもそも一人の人間に出来ることは限られていて、周りを見渡せば自分よりも実力がある人は山ほどいますので、必要以上に自分を卑下する必要はないです。

上手くいかない自分のことを受け入れることができるからこそ、一生懸命に努力をします。そして、一生懸命努力をしているからこそ、自分ではどうしても出来ないことを受け入れることができて、必要な場面では周りの力を借りることができます。

自分と向き合って、受け入れて、その上で一生懸命にやってみてはどうでしょうか?


最後に

私の会喜人生15年間は、色々と苦しいこともありましたが、今振り返ると幸せな時間だったと思います。

建て替えにより仮設のひのき薬局にて(2023年1月26日)

退職することが決まり、社内だけでなく、関係各社の方々やひのき薬局をご利用くださる患者さんへお伝えしたところ、皆さんから温かい言葉をいただきました。心より感謝を申し上げます。

中には涙を流してくれる方や、ご自身の宝物までくださる方もいらっしゃり、少しは誰かの役に立つことができていたのかもしれない、満更ではなかったかもしれないと思うことができました。

嬉しいことに、社長や相談役をはじめ「もし何かあったら戻ってこい」という言葉をいただきました。これほど嬉しい言葉はありません。

しかし、私が今まで以上に成長をして新天地で活躍することができれば、それが会喜にとっても一番の恩返しになると信じて、そしていつか何かの形で一緒に仕事ができることを夢見て、これからも精進していく所存です。

皆様、ありがとうございました。そしてこれからも会喜地域薬局グループのことをよろしくお願いいたします。

以上。