【二代目が聴く!】あいき創業話 vol.2 ~立上編~
みなさん、こんにちは。
けやき薬局の馬場(き)です。
先週に引き続き、私(二代目)が洋典さん(創業者)にインタビューする形で色々聴いてみましたエピソードの第2弾です。
ひのき薬局立ち上げ~のお話ですので、今いるスタッフも登場してくるかも!?
前回のお話はこちら↓
1998年 ひのき薬局開局
開業1-2年で店舗を拡大しようと思ったのはなぜ?
お金を5年で借りて、2-3年で返済のめどがついたら次の展開を考えようと思ったんだ。その2-3年のうちに、情報収集したり、人との関係性を作ったり、次の準備をしておくことが大切なんだよ。
あとは、タイミングかな。
なんで医療生協とやろうと思ったの?
当時の医療生協は石田先生が切り盛りしていてね。こくぶ時代からいくつか案件を探していた中で「ここよさそうだな」というなかの1つだったんだけど、ご縁が多かったから選んだんだ。
手伝いに来ていた渡部Drが南会津出身でつながりがあった
自宅から近くてよく使っていた
そんなご縁でスタッフに知り合いも多かった
最初は「医療生協の中に薬剤師が欲しい」という話だったんだけど、「石田先生を紹介して」と同郷で仲の良かった渡部Drに頼んだら紹介してくれて、良くご飯を食べたり、呑みに行ったりするようになって、「薬局をやろう」という風に決まったんだ。
薬局を出せそうな場所(クリーニング屋さん)があったのも、良かったかも知れないね。
薬剤師の採用はどうしたの?
ちょうど、従弟の奥さんから「弟が薬剤師だけど、やんちゃで困っているから面倒を見て欲しい」と相談を受けたことがあったんだ。今もいる中村公大君だよ。面接に金髪できて、ちょっとびっくりしたけどね。
他に、大塚製薬時代に知っていたTさんが、ちょうど郡山営業所に異動になっていて、その時の郡山営業所の所長が自分の同期だったから紹介してもらったんだ。中村君の同級生だったこともあって、誘うことが出来たんだ。
ひのき薬局から「有限会社薬樹」で別法人だったのはなんで?
「諸事情」から、うまく回り始めていた会喜とは別法人を立ち上げることでリスクヘッジを考えたりしたんだ。あと、某卸(社名は出せない)のI部長と良く相談した縁もあって、資金を出し合って一緒に会社をやろうという話があってね。
けやき薬局の時にはその卸からレセコンを買ったんだけど、ひのき薬局では別の会社にレセコンの見積もりをお願いしたんだ。 そうしたら見積額にだいぶ開きがあったから「なんだろう?」と調べたら、値引きなしの定価販売をされていたと分かったんだ。
定価販売だから別にズルした訳じゃないんだけど、一緒に事業を行っていくという信頼関係は壊れてしまってね。持ち分を会喜で買い取る形で、袂を別ったんだよ。
その後、某卸出身者による出店が会津若松で何店舗かあったから、分かる人には分かるかな。色々と情報を共有していて、自分でやりたかった案件もあったから悔しい思いもしたよ。
その卸の店舗担当者はとても良くやってくれていたんだけど、なかなか揉めると折り合いを付けるのが難しくてね。。そんな訳で某卸とは、ここ数年になるまで取引が少額しかなかったんだ。
ひのき薬局の開局自体はスムーズだったの?
開局自体も順調じゃなかったんだよ。薬局をやろうと決まって、クリーニング屋さんと立ち退きの話をまとめて、工事を始めた1週間後に石田先生が急逝してしまったんだ。
薬局を作るのに銀行からお金は借りちゃっているし、工事も始まっているしで引く訳にはいかなかった。医療生協でも診療所を潰したくないというスタッフがいて、一緒にDrの誘致活動をしたんだよ。 医療生協わたり病院で「在宅医療をやりたい」と燃えていた松本先生に声を掛けて、会津若松へ来てもらえたお陰で事業として存続することが出来たんだ。
その後、医療生協が地域包括支援センターを始めたり、在宅診療機能が充実していくのを間近で見ていて、方向性は間違っていなかったなと思ったよ。
1998年〜1999年
西脇さんはこの頃入社ですか?
そうだね。1998年の12月だったかな? 西脇君もしばらくはひのきでやっていたんだよ。1998年はひのき薬局の出店もあって人が増えた年だったね。
ひのき薬局で思い出深い話はありますか?
中村君の話が多いかな!
若いころはヤンチャだったから、ピ (自主規制)
他にはありますか?
新規開業の個別指導で中村君の薬歴未記載を指摘されて、180万円を返還をしたことかな。後にも先にも個別指導でそんな金額の指導を受けたことはなかったよ。。
2001年 みずき薬局開局
えんどうクリニック
えんどうクリニックが開業してちょっとっ経った頃かな。遠藤先生の評判が良かったから、先生に直接あいさつをしに行ったんだよ。無尽などでご一緒させて頂いていた前田眼科の大先生(院長先生のお父さん)が、遠藤先生のお父さんとお友達だったのもあって紹介して貰えたんだ。
もともとは他のひのき薬局にいたTさんのご主人がMRをやっていたから、引き抜いて軸に据える予定だったんだけど、NGが出てしまってね。他の薬剤師はいないかと探して、旧知の田中はどうだろうか?と考え付いたんだ。
田中さんはどうやって勧誘したの?
田中は、大塚時代からの付き合いで新潟県の奥さんの実家にいることは知っていたんだよ。人柄が良かったから田中なら遠藤先生とまみ先生にも認めてもらえるだろうと思って、新潟の六日市まで勧誘しに行ったんだ。只見線で小出まで2回くらい通ったかな。
それから田中に会津まで来てもらって、遠藤先生にも面接をしてOKをもらえて話が進んだんだ。わざわざ新潟から来てくれるに当たって「2年後に黒字になったら役員にして〇万円出すから」と約束したから、田中が役員を退任するまではそれを守ったよ。
今みずき薬局のある場所は空いていたの?
あそこの土地はもともと飲み屋さんがあったんだ。周りの場所は打診してみたけど全部だめで、薬局を立てる場所が無くて、飲み屋さんに期待を託して半年くらい通ったよ。
なかなか上手くいかなかったんだけど、そこの常連さんだったとあるパーマ屋さんのオーナーと仲良くなったことがきっかけで口を聞いてもらえて、土地を借りることが出来たんだ。
オープンした時はどうだったの?
そんなこんなで薬局の準備は進んで、4月に田中が引っ越してきて、2001年5月にみずき薬局はオープンできたよ。
<薬剤師>
田中さん
Tさん(夫)
<事務>
渡部さん (現レセプト責任者)
油座さん (現いぶき薬局 事務主任)
洋美さん (現ひのき薬局 事務主任)
といったメンバーでスタートしたんだよ。
第2回目、店舗拡大をしていく様子はいかがでしたでしょうか?
医薬分業が盛んな時期だったので新規開業で5年で3店舗というのはなかなか勢いを感じますね。人とのご縁や繋がりを重視している相談役らしいエピソードを知ることができて、私も勉強になりました。
中村さんの若い頃のやんちゃっぷりは是非ご本人と「どんぶり」でも食べに行った際に聞いてみてくださいね。
(つづく)